どこか遠くで。

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夫婦って...何だ? 初めての結婚編 ⑵

言ってはいけない言葉を口にした私を、父は苦しそうな面持ちで見遣ってからポツリと「俺は許さんよ」と一言告げると部屋を後にした。

夫婦って...何だ? 初めての結婚編 ⑴ - どこか遠くで。

父の反対する結婚...。
父の反対を押し切ることなど、24歳になった私にとって全く困難なことではなかった。


反対するなら家を出ればいいだけのこと。
すでに無計画な家出を企てた経験のある私には、行くあてのある家出などコンビニエンスストアに行くようなもの。
第一結婚を反対する父その人が、実の兄の助言を物ともせずにあの母との結婚を強行したのだ。
母のあの、自分勝手で子供じみた振る舞い。
家事も育児も放棄して、酒に明け暮れるだけのだらしない人。
ブクブクと太って身なりも気にせず、失った歯を補うこともしない。
数年前に入院した父の看病で寄り添っていた時に母は、三つ年上である父の母親と間違えられるほど老いて見えた。
父が若く見られたのも原因の一つではあるが、高い費用をかけた入れ歯をただ痛いと言う理由だけで放置し、我慢も勿体無いも努力も知らない人間性がなす姿がその老いなのだろう。


身なりの良い夫と身なりを構わない妻の内情を知らぬ他人が見れば、「ずいぶん苦労なさってるんですね」と同情を寄せられるのはいつだって妻の方だった。
遊び歩いて外に女を作って、自分だけ身なりを整えて、妻には何も与えない薄情で酷い夫。
遊び歩く夫に耐え忍んで、自らを犠牲にして、酒に縋るしか術がない無知で可哀想な妻。


父は何度も母に言う。
お願いだからお前、もう少しなんとかしてくれないか?そんなんじゃ俺が笑われるんだぞ?


その度ごとに母が父に返す。
ふん!あんたがどう思われたって私の知ったことじゃない、だいたい浮気ばかりして私をこんなにしたのはあんたじゃないか?!


母は人前で同情を買うのが上手い。
小さな声で俯いて気弱そうに話す、その見窄らしい姿からは、酔った時の荒々しさや、弱者に対する時の高圧的な態度は微塵も感じられない。
パチンコに明け暮れて、父が母のために蓄えた母名義の通帳の全額を平然と使い果たしてしまう人。
家でのあの尊大な物言いを、人前では意見も言えないオドオドとした大人しい人という姿で、すっぽりと覆い隠す。
どんなに取り繕っても一度酒が入って気が大きくなってしまえば、その本性は全て白日の下に晒されるのだ。
酔ってしまえば、我の強い高飛車な態度が表出するのだ。
母を庇っていた周囲も、彼女のその姿を一目でも見れば驚愕してあきれ返り、また関わることに困惑し、それ以降は確りと距離をおく。


けれど、どちらが本当の母なんだろう?
長く暮らした娘の私ですら、時たま迷ってしまうのだ。
本当の母は優しくて気の弱い人なのかな?
全てお酒が悪いのかな?


それでもやはり酔った時のあの怪物のような人物が、母の本性なのだと思い直す。
そう思わざるを得ないことが、家庭の中の日常に在るのだから。


自分自身の努力をしない怠惰には目を瞑り、父の浮気相手にただならぬ嫉妬心を燃やし続け、髪を振り乱し愛人の元へ乗り込んで行ったり、醜い顔をして泣き喚きながら父への罵倒を繰り返す毎日。
浮気の元となる己の姿や態度には盲目で、ただただ人に責任をなすりつける。


勝手に婚前交渉で作った私にまで「あんたなんか産まなきゃ良かった」
「あんたが出来たからお父さんと結婚することになったんだ」などと平然と責め立てる。
挙句の果ては「あんたはお父さんの味方ばかりして」「いい子ぶって」「利口ぶって」「気取ってる」「嫌な子」「暗い子」
「可愛げがない」「何を考えているのか分からない子」
と非難のシャワーを浴びせるのだ。


「大きな女は可愛くない」「ずいぶん大きな手だねぇ」「足が25センチって...男の人みたい」「女の子は私やHみたいに小さくないと相手の男の人が可愛そう」「図体が大きくて見っともない」「そんなに大きかったら守りたくなくなる」
そうやって私から自信を奪い取る。



身長が166センチメートルの私は一時期、背が高いことを気に病んで猫背になってしまったことすらある。
猫背にして、俯いていれば、少しは背が小さく見えるだろうと思い混んでのことだった。
そんな私に父は言った。
「おい、Y、背が高いのは格好がいいんだぞ。俺の初恋の相手は頭も良くて背がすらりとしてモデルみたいな人だった。背筋を伸ばしていつも前を向いて、すっと首筋を伸ばしてな...凛として格好良い人だった。いいか?猫背はいけない。ほら?背筋を伸ばして前を見ろよ。下なんか向いてるなよ」
父のその言葉に、それでは何故また母のような人と結婚したのだろうかと、ふと疑問が浮かぶ。
言葉にはしなかったけれど。


父は母と結婚して幸せではなかったろう。
おしめを変えてミルクを与えて、休みの日には連れて回って。
母のようにならないようにと願い、必死に私を教育した父。
私を育ててくれた父のたくさんの言葉。
余計な詮索をせずに黙って家出の後始末をしてくれた父...。
父が私のためを思って反対しているのは確かだろうけれど、どんなに反対されたってこの恋を成熟させるんだ。
そして私はこの家を出て、幸せになるのだから。
そんな強い決意を胸に、ボストンバック一つに最低限の荷物を詰めると、私はTの元へと急いだ。


当時のTは実家近くに2LDLのマンションを借りて、一人暮らしをしていた。
家を出た私は、自宅の最寄駅から公衆電話で事の成り行きを告げた。
するとTは自分の自宅から少し離れた、ターミナル駅を待ち合わせ場所に指定する。
少し違和感を覚えたものの、きっとターミナル駅まで迎えに来てくれるのだろうと軽く受け流した私は、指定されたターミナル駅へ向かった。
困惑顔のTの顔を見た途端に緊張の糸がほどけて、私の頬に涙がつたう。
当然ながらその涙を優しく拭ってくれるものだろうと甘い期待をする私に、あからさまに迷惑を顔に浮かべたTは冷たく言い放った。
「こんなところで泣くのはやめなさい。みっともないから」
え? あれ?なんだか想像と違わない? 不審に感じながらも慌てて涙を拭って、笑顔に変える私。
「あのね、父に反対されたから、ちょっと言い争いになって...Tさんの顔見たらホッとしたのかな?」
「...家を出て来たの? お父さんには何も言わないで?」
「だって、言っても仕方ないでしょ?」
「親なんだから、14歳も年上の離婚歴のある男との結婚なんて反対して当然でしょう」
「それが理由じゃないから...」
「それ以外に、なにが理由だって言うの?」
「Tさんのことをよく知りもしないのに、冷たい男だって決めつけるから...」
「お父さんの目にはそう映ったんだから、仕方ないでしょう」
「Tさん、冷たいの?」
「どうかな?」
「今日のTさんは冷たい」
「それはそうでしょう? こんな風に何も考えすに家を飛び出してくる女性に、優しくするのは愚かな男だけだ」
Tの突き放した物言いに、私の目は再び涙で盛り上がる。
「いい加減にしなさい!人混みで泣くなんてみっともない。一緒にいるこっちが泣かせたみたいに見える。こんなに年の離れた女の子を泣かせる男だと勘違いされたくない」
そう言われた私はなにも言い返すことができず、涙をこらえるのが精一杯だった。


「今日はなにか美味しいものでも食べて、そうしたら家に帰りなさい」
Tは静かにそう言うと、スタスタと歩き始めた。
私は黙ってそれに従った。


あまり味のしない食事のあとで交通費だと一万円を手渡したTは、ターミナル駅に私を残し一人で自宅マンションへ帰ってしまった。
しばらく途方にくれた私だが、自宅へ帰るしかない。
二年間のあの家出も成功と呼べるものでは到底なく、私は思い出すのも不快な出来事をいくつか経験して、結果的に父に助けられたという結果が負い目となる。
母や妹にどれほど嫌な思いをさせられても、自宅にいさえすれば一人暮らしよりは確実に安全でいられるのだ。
家出から戻ってから以降、父が私を殴るということもない。
母も以前に比べたら、ずいぶん優しくなった気がした。
妹は結婚して家を出たし、天下とは言わずとも穏やかな日々を過ごすことができる。


ターミナル駅から自宅の最寄駅までは快速一本で帰れる。
Tから手渡された一万円は交通費には多分すぎてが、それが却ってひどく惨めな気分にさせる。
父が言っていたようにTは冷たいのかも知れない。
いや、常識ある大人だからあんな風に冷静に私を帰すのだ。
そうやって行ったり来たりする思いを抱えながら、混雑する車内で過ごすのは躊躇われた。
グリーン車の空席の窓際に席を決めると、私はぼんやりと車窓の外の景色を眺めた。
黒をバックに、いくつものネオンが重なり合っている。
そのうち駅員がグリーン券の有無を確認に来るだろう。
事前にグリーン券を購入せずとも、その場で駅員が対応してくれる。
それまでは泣きたくないなぁと思いながら、楽しいことを考えようと努力する。


そうやって努力すればするほど、悲しさがやってきて涙が頬をつたう。
まぁいいや、知らない人に泣き顔を見られたところで二度と会うこともない。
窓の外を飛ぶように流れていく夜の灯、暗い窓ガラスに泣き顔の私が映っている。
馬鹿らしいなぁなんだか...面倒くさいなぁ色々...このまま何処かへ行ってしまいたくなる気持ちを抑えて、来た経路を引き返す。
馬鹿みたいだ私...いや、馬鹿でしょ?


ゴトンゴトンと響く電車の車輪が線路を刻む音が、いつもよりも頼もしく感じる。
沈む私の心を、賑やかに慰めてくれているようだ。
頑張れ、頑張れ。
大丈夫さぁ、なるようにしかならない。
考えたところで、なにも変わらないんだ。
ゴトンゴトン...大丈夫大丈夫。
ゴトンゴトン...頑張れ頑張れ。


また明日がやって来て、私は私でいるしかない。




物事を深く考えることをやめた私が、自分の思いで人生を変えられるのだと気付くのは、まだまだ先のお話。
自分の不遇に酔って、可哀想な私をすることしかできなかった24歳のころの遠い記憶。







さあ、この後どんな出来事があって、Tとの結婚はどう展開するのか?
昔のブログにはチラッと記した。
はてなブログでもちょこっとさわりだけ。



2回目の結婚生活を送っている55歳の私は、どう過去を振り返るのだろう。
当人の私すら今の時点では見えていない。









さあ、今日はここまでにいたしましょう。




それではまた。
気が向いたら寄ってみてください。
いつ頃更新されるかも全く未定ですが...。

あまり明るくない方向へ進んでいるようです。
お気が進まなければ、どうぞ無理はなさらずに。



お気持ちに余裕のあるときに、ちらりと。