どこか遠くで。

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夫婦って...何だ? 初めての結婚編 ⑶

物事を深く考えることをやめた私が、自分の思いで人生を変えられるのだと気付くのは、まだまだ先のお話。 自分の不遇に酔って、可哀想な私をすることしかできなかった24歳のころの遠い記憶。

夫婦って...何だ? 初めての結婚編 ⑵ - どこか遠くで。

音を忍ばせて玄関の鍵を開け、家人に知られぬようにこっそりと自分の部屋に戻った私を、待ち受けていたかのように部屋に10分もしないうちに父が顔を出した。
子供部屋には鍵はつけておらず、父はノックなどせずに平然と部屋のドアを開く。
ドアから顔を覗かせた父は、嬉しそうこうに言った。
「おぅ、帰ってきたか」
大好きな父の笑顔だった。
思わず泣き出しそうになるのをこらえた私は、少しぶっきら棒に応える。
「うん」
「入っていいか?」
「どうぞ」
父はつかつかと部屋の中央を進むと、窓辺に設置したライティングデスクの椅子を引いて腰掛ける。
「Tから電話があったぞ」
一瞬怯んだ私の緊張をほぐすように、父は笑顔で一つだけ大きく頷くと、
「お前、そんなにあいつのことが好きなのか?」
と聞いた。
「え?それはそうでしょ」
私は即答する。
ちょっと面白くなさそうな顔をして、父は呟く。
「ふん!なんでまた、あんなオッサンを...」
少しムッとした私の顔を見て、父は再び相好を崩すと慌てて付け加える。
「まぁ、お前が決めることだからな。好きにしろ」
そう言うと私の反応を見もせずに父は椅子から立ち上がり、部屋のドアへ向かった。
ノブに手をかけてから立ち止まり、振り返るとこう告げた。
「明日、Tと会って話をすることになってる」
「え?」
「心配するな、悪いようにはせんよ。奴はきちんとお前を家に帰したし、電話で報告もしてきた。ちょっと二人で酒を飲みながら話してみたいだけだ」
「Tさん、お酒飲まない」
「そうなのか?」
「そうだよ」
「この前は飲んでたろ?」
「お父さんは飲んでたけど、Tさんは最初のビール一杯と日本酒おちょこ一杯しか飲んでないじゃない」
「そうだったか?」
「そうなの。Tさんは飲めないけれど会社員時代に飲みの席を経験しているから、飲んでいる風にするのが得意なんじゃない?」
「そんなもんか...」
「私はお酒飲みとは結婚したくないもん」
「そうか...」
「そうだよ。Tさんに無理やりお酒をすすめないでね?気持ち悪くなっちゃうみたいから」
「ああ、分かった」


父とTが何を話したのか、詳しくは聞いていない。
ただその時の二人の話は、後々私にとって不都合なこととなる。
もちろん父は敢えてそうしたのではない。
おそらく娘を思う親心だったのだろう。
それでも...。


父との話し合いのあと、Tは我が家にも普通に訪ねて来るようになった。
私たちは結婚式は挙げないけれど、あの話し合いから三ヶ月後に入籍することに決まった。
それでもその日を待たずにある出来事が起こり、結果的に私は家を飛び出すことになる。


その出来事を語る前に、入籍前に父のが起こした面白いエピソードを話そう。


入籍の日を控えたとある日曜日の午後、父が唐突に私を健康ランドへ誘った。
父と二人で健康ランドなどへ行ったところで、入浴は男女別々なわけだし面白くもなんとないと思ったものの、満面の笑みで誘う父の誘いは、私を「まぁいいかぁ」という気持ちにさせた。


その日の父はいつにも増して上機嫌で、健康ランドまでの30分ほどのドライブの間も、ハンドルを握りながら引っ切りなしに昔話をする。
私の子供の頃の話を、実に嬉しそうに語る父の横顔は今でも忘れられない。


健康ランドへ着くと普通なら入浴後に広間で待ち合わせるのに、なぜか父は私を誘導するように奥へと進む。
不思議に思いつつも、黙って後に従う私。
父は突然立ち止まり振り向くと、ちょっと悪戯っぽい笑顔で言った。
「おい、Y。ほら、あそこに占いがあるぞ。お前、占ってもらえよ」
「え?今?」
「おう」
「今日は別にいい」
「なんだ、お前。Tのこととか気になるだろ?料金は俺が出してやるから、ちょっとみてもらえよ」
「うーん、じゃぁそうする」


占いの衝立の向こうには一人のおばさんが、ポツリと腰掛けていた。
「みてもらえますか?」
私がそう声をかけると占いおばさんは重々しく頷くと、対面に置いてある椅子を手のひらで指して座るように促す。
「今日はどんなことを?」
「もうすぐ結婚するので、その方との相性?」
なんども頷きながら占いおばさんは、私とTの生年月日や名前の漢字を聞き取る。
そしてしばらく黙った後で首を斜めに傾げたまま眉間を顰めると、真っ直ぐに私と向き合った。
「この結婚はやめておきなさい」
「え?なぜですか?」
「この人と結婚したら、あなたは大変なことになる」
「どう大変なんですか?」
「あなたが不幸になる姿が見えています」
「どう見えるんです?どこに?どんな風に?」
占いおばさんのノートを覗き込むと、開いたノートの裏側のページが透けて、私の名前が見えた。
「え?あれ?これって、私の名前...?」
占いおばさんが狼狽える。
「ちょっと見せてください!」
占いおばさんの前からノートを奪い取った私は、開いていたページを一枚めくった。
私の名前と生年月日が、ノートにしっかりと記してある。
「これ、どうゆうことですか?」


占いおばさんはすぐに観念して、全てを打ち明けた。


前日の土曜日に一人でやってきた父に頼まれたのだと、占いおばさんは言うのだ。
明日、娘を連れてくるから結婚は諦めるように言ってくれと、父から頼まれたらしい。

「いくら貰ったんですか?」
そう問いただす私に、占いおばさんは慌てた様子で即答した。
「私は困るって断ったんですよ。けれどお父様は大変心配しておられて...」
「だからこんなインチキを請け負ったって言うんですか?」
「インチキって、あなた...」
「インチキでしょ?これバレたら大変なことになるんじゃないですか?健康ランド側は承知しているんですか?」
「あ、いえ...」
「これ訴えられますよ」
「え...そんな...」
「だってそうでしょ?考えてみてください。頼まれたからってお金を取ってそんなインチキの加担をするなんて、これはもう大問題です」
「え、あ...」
「父はいくら払ったんですか?全額、返してください」


占いおばさんは黙って従った。
それは結構な額だった。


占いの衝立から出ると、父の困った顔がすぐに目に飛び込む。
当然、父には占いおばさんと私の声は筒抜けだ。
照れ笑いをする父に私は、呆れながら言った。
「もーう...お父さんったら...」
「なんだなぁ、あの占い師、しょうがないなぁ」
「しょうがないのは、お父さんでしょ。全くもう...」
「まぁそう怒るな」
「別に怒ってないけど。変な小細工やめてね、ほんとにもう...」
「お前、あの占い師から金返して貰ったのか?」
「当たり前でしょ?」
「いやぁ、そりゃ悪いだろ?」
「悪くない!受ける方が悪い。出す方も出す方だけど...」
「そうか?」
「そうだよ、はい」
お金を渡そうとすると父は、
「それ、お前にやるよ」
と一言。
「え?こんなお金いらない」
私は素っ気なくかえす。
「そんなこと言うなよ。金はいくらあっても困らないぞ。お前あいつと結婚するんだろ?」
「うん」
「お前、貯金なんてないんだろ?」
「まぁ...」
「自分の自由になる金は出来るだけ多く持っていた方がいい。お前があの占い師から奪い取った金だから、それはもうお前のものだ」
「奪い取ったって...人聞きの悪い...」
「いや、それが事実だろ?俺から返せとは言ってないんだから」


そんなことがあったなぁと、この話はいつも私の定番の笑い話だ。
あの日はあの後どうしたのか、私の記憶からきれいに消え去っている。
あの占いの衝立の前で父とした会話が、あの時の記憶の最後の場面だ。



思い出すとおかしくて、けれど何故か涙が出る。
必死で私を守ろうとする父の思いが、今だから心にしみる。


あの時、素直に父の言うことを聞いていたら、今の私ではない人生を送っていたのだろうか。
精神を病むことはなかったろうか。


今の夫と出会うことも、なかったのかも知れない。


いくつも選択肢のある人生を、その時々に私は選択する。
選択した先に今の人生があるのか、それともあらかじめ決まっているのか。
そんなことは、誰にも分かりはしないだろう。
神様がいるかいないか、幽霊がいるかいないか。
占いは果たして当たるのか?
科学では証明しきれない謎があるから、生きているのは面白い。
どんなどん底の人生にも、笑いはある。


最初の夫のこと。
今の夫と出会ったこと。
今の私は幸せなのか?


この続きは?







また、次の機会で。