どこか遠くで。

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夫婦って...何だ? 初めての結婚編 ⑷

あの時、素直に父の言うことを聞いていたら、今の私ではない人生を送っていたのだろうか。 精神を病むことはなかったろうか。 今の夫と出会うことも、なかったのかも知れない。

夫婦って...何だ? 初めての結婚編 ⑶ - どこか遠くで。


入籍の日が近づいていたある日、父が私を行き付けのバーに誘う。
ここのママは父の友人の愛人だ。
私が最初の高校の中退を決意し次の高校に進学するまでの短い期間に、父はしばらくこのママに私を預けた。
家族との関係がギクシャクして、私が居場所を失っていた時分だった。


ママは元々は旧家のお嬢様で、茶道華道は免許皆伝、立ち居振舞いの美しいキリリとした女性だ。
そんな人がどのような経緯を辿って、こんな片田舎のバーの経営者となったかは全くの謎だった。


私が高校に入学したての頃、一つ年下の妹は高校受験を控えていた。
父が私に一番厳しかった頃と重なるこの時期に、私は父から折檻を受けることが度々あった。
その状況を作っていたのは母だ。
自分本位な主張で事実を捻じ曲げて、父にさも私が反抗的であるように言いつけ、父を焚き付ける母。
アルコール依存症の母に対する父の怒りを、私へ転化させるためにそうしていたのだろう。
要するに母は父から自分が殴られるのを免れるために、私を犠牲にしていたに過ぎない。
毎晩のように繰り返された父と母の夫婦喧嘩はいつしか、父と私の親子喧嘩に変わっていた。
その騒ぎは受験を控えた次女に悪影響を与えるという理由で、私を家から追い出すことを提案したのは母だった。
高校一年生の夏休みに、私は独り暮らしを強制された。
放置されたその間に引きこもり状態となった私は高校一年生の二学期のほとんどを、一人暮らしのアパートに引きこもって過ごした。
二学期の出席率が、どの程度なのか私は一向に記憶がない。
中学三年の頃に奇病にかかって(おそらく鬱だったのであろうが)一学期間をまるまる休学していた私は病弱な生徒として事前に届けられていたため、体調不良による度重なる欠席も疑われずに済んだようだ。


私は毎朝、母のふりをして学校へ病欠の電話を入れた。
そうやって雨戸を閉じた暗い部屋で、ぼんやりと過ごしたおよそ四ヶ月間の日々。
その頃どんな気持ちだったのか、実のところ本人である私がよく覚えていない。
暗い部屋でテレビもつけずに毎日毎日、飽きもせずに音楽を聞いていたことだけを覚えている。
自宅に戻って食事を取っていたような気もするし、自分で食事の支度をしていたような気もする。
二学期は九月から始まって十二月のクリスマスあたりまでの期間なのだから、およそ四ヶ月もの間の記憶が私にはほとんどない。
一人暮らしを始めたばかりの夏休みには、友人が私の暮らすアパートへ遊びに来ていたことや、二学期が始まったばかりの頃は普通に通学していたことも、記憶に残っている。
けれど、いつ頃から学校を休み始めたのか?
いつ頃からカーテンを開けなくなったのか?
日々の食事はどうしていたのか?
入浴はどうしていたのか?
夜は眠れていたのか?
生活は昼夜逆転していたのか?
なにをどう考えていたのか?
全く記憶がないのだ。


ただ一人ぼっちの薄暗い部屋で、ヘッドフォンで音楽を聞いている自分の姿しか思い出せない。
暗い部屋を照らしていたのは、ステレオからのパネルライトの青白い明かりだけだった。
そのとき私は泣いていたろうか?
一人ぼっちで寂しかったろうか?
見捨てられたと思って親を恨んでいたのだろうか?
よく覚えていない。
ただ悲しかったことだけは、覚えている。


2学期が終わる頃に担任が自宅に電話をかけて来たらしく、そのときになって初めて長女が二学期のほとんどを欠席していることを両親は知ることとなる。
学校からの呼び出しで父と二人で高校へ行った時のことは、私もよく覚えている。
父の運転する車の助手席で、黙って車窓からの景色を眺めていた。
父が何かを話していたように思うが、なにを話していたのかは私の記憶にない。
ただ流れていく景色だけを覚えている。


校内の応接室で学年主任も兼ねる教頭を交え、担任と父と私との四人でソファーに腰掛けていた記憶はあるが、会話の内容はほとんど忘れてしまった。
こうやって思い起こしてみれば、私の子供の頃の記憶は父と二人で会話したこと以外は全て無音だ。
どの記憶も、映像しか思い浮かばない。
母からの罵倒は思い出すが...。


高校の応接室での出来事は、
出席日数が不足しており、二年生には進級できないこと。
来年四月から一年生をやり直すよう、教頭が勧めたこと。
教頭が私の手を握りながら、「あなたは良い子だから」と言ったこと。
私が他校を受験し直すと、キッパリと宣言したこと。
この四点しか覚えてない。


そういえば、学校の帰りに父と二人で中華料理を食べたことを、今思い出した。
個室の中央に設置された丸いテーブル、その上のターンテーブルに並ぶ中華料理。
対面の父の、満面の笑顔。
父が嬉しそうに言う。
「お前、すごいな」
「なにが?」
「いや、だって、お前、あの教頭に向かって、あんなにはっきりとな」
「うん」
「俺が高校生の頃は、大人にあんな風に意見なんてできなかったぞ」
「ふーん」
「いやぁ、俺はお前のことを勘違いしてたな」
「うん」
「なにも考えていないと思っていたよ」
「うん」
「いろんなこと考えてるんだな、お前」
「そうかな?」
「いや、良かったよ」
「そうなんだ?」
「ああ、良かった」


教頭が私の手を握り「あなたは良い子だから」と言ったとき、私は教頭の手を振りほどいてこう言ったのだ。
「やめてください!父がいるから良い先生ぶるのは!」
呆気にとられた教頭が「どうしたの? Sさん」と尋ねる。
「K先生、私は真面目な生徒ですよね?」
「そうよ?」
「そうです!私は真面目なんです。校則を破ることはほとんどなかった。この高校の馬鹿らしい校則。前髪は眉にかかる長さになったらピンで止めるとか、カラーピン使用禁止とか、髪が肩につく長さになったら二つに結ぶとか、ポニーテールや一つ結びは禁止とか、三つ編みのできる長さなら三つ編みにするとか、スカートはひざ下7センチとか、学生カバンも手提げバッグもスポーツバッグも靴も靴下もタイツまで学校指定とか、紙袋禁止で必要なら風呂敷包みとか、実に馬鹿げています。それでも私は校則を守っていました。他の生徒は誰もこの校則に対して不満だらけで、大抵の生徒は「こんな学校は辞めたい」と言っています。私は学校を辞めたいと口に出したことは一度もありません。口に出した時には辞めようと思っていたので。辞めもしないのに愚痴ばかりの生徒を見っともないと思っていましたから。私はこの学校を辞めます。今、そう宣言したので、これは絶対に実行します。何を言われても変わりません。だから引き止めるのはやめてください。時間の無駄ですから。そしてK先生、あなたはこの、真面目で校則を守る私を何かと言うと注意しましたよね?朝の校門検査で他の子は素通りなのに一々私を呼び止めては靴下の三つ折りが少し小さすぎるとか、ちょっとでも眉に前髪がかかっていただけでどうこう言い出したり...もっと分かりやすい校則違反をしている生徒はいるでしょう?だいたい何ですか?あの朝の校門検査は? スカートをウエスト部分で折り曲げていないか確認するために、ウエスト部分が見えるようにブレザーの裾部分をたくし上げて歩くとか? あんなの長いスカートを履きたい人はもう一枚予備のスカートを駅のコインロッカーに預けてあるんですよ? 駅の公衆トイレで履き替えているんです。全く無意味なことばかりして、実にこの学校の校則はくだらないです。もともと私は行きたい公立高校があったんです。偏差値だけなら合格圏内でしたが、出席日数に問題があったため内申が今一つという理由で、3ランクも落として受験しなければならなかった。私はその学校へ行きたくなかった。それを父ときたら三者面談の時に、ヘラヘラ笑いながら「どこでも良いですよ。受かれば、な、Y」とか言って...。私はこの時に公立高校の試験は受けないことに決めたのです。この高校は憧れの先輩の通う高校でしたし、校外から見れば生徒たちは品良く見えたし...この辺の私立では良い女子校だと思ったから、私の中ではこの女子校一本のつもりで受験したんです。なのに何ですか?実情は全く違う。生徒たちはバカみたいに男子の話ばかりしてるし、男性の先生の授業ではわざとスカートの中を下敷きで扇いで彼の反応を見てクスクス笑ったり、全く品がない。中にはもちろん素晴らしい方もいらっしゃいますが、それはほんの一握りです。この学校の生徒たちが何故このように、外面だけ取り繕うのか分かりますか?それはこの学校のくだらない校則に原因があるのではないですか? 主体性も何もない。一から十までがんじがらめで...校門を出た途端に清楚ぶる生徒たちは、あなた達がそうやって外見ばかり煩く整えさせてようと縛り付けるから、猫を被るのが当たり前になるんじゃないですか? 私はこの学校の外見だけの猫被りの生徒たちに騙された気分です。K先生も同じです。私の父がいるから良い先生ぶっていますが、生徒たちの前ではまるで違いますよね?K先生は生徒達に影でなんて言われているかご存知なんですか?あなたは生徒達から被覆ババアと言われているんですよ!」


「いやぁお前のあの剣幕でさ、あの教頭...あの時の顔ったらなかったなぁ。キリッとしてキツい人かと思ったら、驚いてオロオロして、お前に何も言い返せなかったろ?」
「Kはお父さんがいたから、余計なことを言わなかっただけだよ」
「そうなのか?」
「うん、多分ね」
「そうか」
「そう。だって生徒達の前じゃ物凄い口達者だもん。ちょっとでも口答えしたら引っ叩くから」
「そうなのか?」
「うん、そうなの」
「へぇー、そんな風には見えなかったな」
「そりゃそうでしょ?父兄の前だと猫かぶるから」



高校からの連絡で、一人暮らしのままでは放っておけないと判断した父が慌てて私を自宅に戻したが、無表情になり滅多に口を聞かなくなった私を、母が「怖い」と言い出していた。
そして私はそのバーのママの自宅で、二ヶ月ほど暮らすことになったのだった。
希望の高校へ受かるために、そのときの私は勉強ばかりしていたから、ママともほとんど会話をしていない。
ママと二人で食事をしているところや、ママの愛人であり父の友人でもあるOさんと三人でドライブした記憶が残っている。
あと覚えているのは、ママの愛犬のポメラニアンの愛くるしい姿と、そのキャンキャンという甲高い鳴き声。


そのママのバーへ、父は私を誘ったのだった。
そのバーでの父のある態度に失望した私は、父を打ちのめす発言をして、ある出来事へと発展していく。
今回はその話をしようと思っていたけれど、思わぬ方向へ寄り道してしまって、そこへはたどり着けなかった。






そのお話は、またこの次に。



この調子では、いつになったら夫婦の課題が出てくることやら...。


全く...先が思いやられますな。