どこか遠くで。

ちょっとした空き時間に、少しだけ現実とは違う世界へご一緒しませんか?

紗英子の場合。

今週のお題「好きな漫画」ー




紗英子はいつも考えている。
十七にもなって、少女漫画を読んでいることについて。


このまま少女漫画ばかり読んでいたら、素敵な大人になれないのじゃないかと心配になるのだ。
周りのすすんだ子たちはすでに彼氏がいて、その恋の悩みについて眉間にシワを寄せながら、すっかり大人の顔をして語り合っている。
いまだ彼氏は愚か、片恋の経験すらない自分の幼さに紗英子は、どこか未熟さを感じて不安になる。


女の子たちは皆、校則違反のお化粧などもこっそり楽しんでもいて、紗英子から見ていても眩しいほど輝いている。
紗英子といえば校則通りに野暮ったく制服を着込み、色付きのリップクリームすら塗ったことがない。


紗英子はこの歳になっても好きな少女漫画を読んで、ただただ理想の恋に焦がれているばかりで、男の子となぞ満足に話しすらできない。
紗英子の一番好きな漫画は大島弓子綿の国星だが、主人公のチビ猫ですら飼い主の時夫に恋をしていることに、戸惑いを覚える。
たしかに時夫は優しいかも知れないけれど、私だったらもっとクールな男の子が理想だな、などと思った直後に、空想ばかりして本物の恋の始まりどころか、好きな人もいない私が何を生意気なことを考えているのだろう、と思わずくすりと笑った。

「おい、平野、なに一人でニヤケてるんだよ? お前、実はむっつりスケベじゃないの?」

その声の主は、間違いなく高橋悠斗だ。
声が大きくてガサツで、いつも数人の男子たちとふざけてばかりいるやつ。
そのくせ勉強もスポーツもデキて明るくて、親切で背が高くて、まぁカッコイイ部類に入る顔立ちをしているから、女子から人気がある男子生徒。
私の一番苦手なタイプだ、と紗英子は常日頃、彼のことを快く思っていない。
やたらと話しかけてきては、紗英子には興味のないことを話まくるから、普段なら男の子との会話が苦手な紗英子ですら、高橋悠斗とは至極普通に話ができるほどになったくらいだ。


顔をあげて返答でもしようものなら、またあれこれとつまらない話を始めるのだろう。
そう思って紗英子は黙ったまま、顔を高橋悠斗が立つ反対側に背けて、窓の外を眺めた。

「なんだよ?平野、あからさまに無視するなよな?いくら俺だって傷ついちゃうよ」

いくらって? あんたがどんなだか私は全く知らない、心の中でそう毒突いて、紗英子は更に熱心に窓の外を見つめる。
何か面白いものでも見つからないかと窓外に広がる景色を丁寧に見回すが、夏休みが近い校庭には人の影すらない。

「おいおい、平野、聞こえてるんだろ? 少しは反応しろよな」

このまま無視をし続けても、うるさいばかりで高橋悠斗はここから離れないだろう。
意を決して紗英子は窓外の景色から目を離し、高橋悠斗を見た。


「なに?その迷惑そうな顔」
「だって迷惑なんだもの」
「え? お前それ、言う?」
「...。」
「なんとか言えよ」
「お前って言うのやめてくれない?」
「そこ?」
「うん、すごくイヤ、お前って言われるの」
「そうか? じゃなんて言えばいいの?」
「あなた、とか、君ならまだいいかも?」
「え? 俺、そんな気取った言い方できないよ」
「気取った言い方なんかじゃないでしょ? 考え方がおかしい」
「なんだよなぁ...お前の方がおかしいじゃん」
「またお前って言った」
「ごめん、じゃ、キミ?」
「...ほんと、高橋くんじゃ、君って似合わないみたい」
「あー、もう!そうだろうよ!」
「高橋くんって乱暴だよね? 話し方」
「そうかな? 普通じゃない?」
「ふーん、普通ってよく分からないけど、まぁ高橋くんには今みたいな話し方があっているんだろうね」
「なんだよ、そのバカにした言い方」


こうやって意味のない会話が、延々と続くのだ。
お昼休みの時間がなくなってしまう。
そう思って紗英子は黙って席を立つ。

「おい!平野、どこ行くんだよ?」
「お花摘み」
「花なんか、今からどこに摘みに行くんだ? 昼休み終わっちゃうぞ」
「...トイレ、トイレに行くことをお花摘みって言うの!」


あんぐりと口を開けたまま、高橋悠斗の顔は見る間に赤くなっていく。
それを見て紗英子はなんだか可笑しくなって、笑った。
口を閉じた高橋悠斗も、少し恥ずかしそうに笑い返す。

「高橋くん、顔が真っ赤だよ?」

あたふたとする高橋悠斗を残して、紗英子は教室から廊下へ出た。
夏の日差しが、続く廊下に降り注いでいる。
生徒たちで賑わう廊下を一人、紗英子はゆっくりと歩く。


高橋悠斗は私に恋をしているのかな?
だとしたらどうなのかな?
私は高橋悠斗に恋ができるのかな?
いや、まさか...あんなガサツで、うるさい男の子となんて...。


けれどさっきの照れた笑い顔は少し可愛かったかも知れない、などとぼんやり思いながら、紗英子は更にゆっくりと廊下を歩いた。


夏の日差しがきらきらと眩しくて、思わず目を細めた紗英子の頬が、ほんのりと赤く色づいていることに、紗英子自身はまだ気づいてもいなかった。